31歳ですが、終活の話をしに来ました
「今日、誘われて来た人?」「ネパールがどこか、正直あやしい人?」。そんな問いかけから、笑って始めます。町のインドカレー屋さんで、もうネパールの人に会っているかもしれません。
支援が
わけが
そのわけを話すには、まず、僕がどんな人間かを話さないといけません。
「今日、誘われて来た人?」「ネパールがどこか、正直あやしい人?」。そんな問いかけから、笑って始めます。町のインドカレー屋さんで、もうネパールの人に会っているかもしれません。
支援が
わけが
そのわけを話すには、まず、僕がどんな人間かを話さないといけません。
中学の給食の時間。みんなが仲間で固まって食べる中に、ひとりだけ、後ろの席でポツンと食べている子がいました。仲間外れが、すごく嫌だった。だから、椅子を持って行って、その子の机で一緒に食べました。
そこから、ネパールで子どもたちの晩ご飯を止めないために、いろんなことをやってきました。なぜ、そこまでやったのか。人を助けると、「ありがとう」と言われる。いつのどんな場面でも、そのたびに、ここにいていいと思えたからです。
僕はただ、
会社で、家で、誰かに「ありがとう」と言われた日。少しだけ、ここにいていいと思えた日。皆さんにも、ありませんか。

ネパールの街で出会った、10歳と12歳の男の子。一緒にご飯を食べに行ったのに、財布にお金がなくて、「2人で食べていいよ。僕はタクシー代なくなるから、食べへんわ」と言いました。そして、こう続けたんです。
「代わりに
ボクは
お腹は満たされなかった。でも、心は満たされました。そして、自分で言った言葉で、気づいたんです。
食べ過ぎて
着ない服。冷蔵庫で腐らせる食べ物。タンスの中の、いっぱいの物。そのころの僕は、自分もハッピー、子どもたちもハッピーなら、それでいいと思っていました。
施設に、お母さんが会いに来た日。帰るたびに、泣いて離れたがらない子がいました。その子は、やがて、お母さんのもとへ帰りました。
そのとき、気づいたことがあります。僕は、施設をもっと素晴らしい居場所にすることに、力を注いでいた。子どもを真ん中に置いて、もっと長い目で見てみたら、何が見えたか。
子どもを、真ん中に。
施設がいらない、とは言っていません。施設は、子どもを守る大切な場所です。
じゃあ、僕が12年やってきたことは、何だったのか。
その仕組みを、
支えて
報告のたびに、数字を伝えて、安心していた。優しさや愛という言葉の奥に、必要とされ続けたかった自分が、いました。あとになって、気づいたんです。あの日、心が満たされたのも、2人がお腹を空かせていたからだった、と。
僕のコップは、空いていました。その空きを、「ありがとう」と言われることで埋めていたんです。
それでも、届けたお米は本物でした。支えてくれた人のお金は、無駄じゃない。間違えていたのは、僕の見ていたものです。
同じお米でも、
消費で
「終わらせる」と言っても、サポートは終わりません。
終わらせるのは、
無駄な支え。
「子どもたちは、世界中で見守る」。僕も、ずっとそう言ってきました。でも、親といられる子は、親と一緒にいたほうがいい。
親の
もっと
愛をお金にして送るんじゃない。明日を生きていく支えを、送る。人には、倒れても立ち上がる力がある。その力を、底まで奪っちゃいけない。

そして、お米を届けているお母さんから、こんな声を聞きました。
ノートや教科書、鉛筆を買えるようになった。働く時間が減って、子どもと遊ぶ時間、話を聞く時間ができた。「今日、学校でどうだった?」って。
支援に慣れて、「海外が送ってくれるから、自分たちはしなくていい」となってしまうこともある。だから、こう言いたい。
あなたたちなら、
それまでの間は、
試されているのは、僕たちのスタンスでもあるんです。
食卓を豊かにするのは、3つ。僕は、ずっとそう言ってきました。
施設の子どもたちには「どこで」と「何を」はある。僕が12年かけて、届けてきました。足りないのは、「誰と」。
僕は「ここにいていいよ」と言ってほしかった。でもそれは、役に立つから「いていい」だった。泣いて離れたがらなかったあの子が欲しかったのも、立派な施設でも、たくさんのお米でもない。そして、中学の給食の時間、椅子を持って行った僕は、もう知っていたんです。
何も
ここに

人生は、自分に何が必要なのかを分かっていく作業。無駄をそいで、必要なものをもって、心地よく生きている実感を確かめ続けること。そう、僕は思うんです。
「仲良く
言える
第4章で空いていたコップは、最後に、こうなります。
そして最後に、はじめの問いを、もう一度だけ聞きます。
続きは、会場で。
巡業のページに戻る古川十豊|NPO法人 Around The Table 代表/母船厨房 G.O.M. 主宰